悪魔の弁護人5話の感想。施設入居者に衝撃の繋がり。懲役は罰なのか?

フジテレビ系列のオトナの土ドラ「悪魔の弁護人」の第5話を見ました。
今回は第二章の完結編ということで。

いろいろ過去の事件とつながっていましたね!

後藤さんをかばってやったことなんだろうということは、なんとなく想像ができるところではありますが。
その後藤さんが稲見教官にとって息子の忘れ形見だったとはね・・・。


稲見教官の息子は元介護士で、後藤さんを助けて事故死。
自分の身内ならまだしも、息子さんも見知らぬおじいさんをよく命がけで助けたものだな。

稲見教官はのちに後藤さんを追ってあの施設に入居。
後藤さんを介護士の虐待から助けていたということで。

告発とかすればいいのにと思ったけど、それができないみたいですな。
確かにいまの時代、介護が必要なのに行く施設がないということもあるでしょう。




人手不足だからいわくつきの人物でも雇うしかなかったのかな。
そういえば前回、御子柴先生を襲った介護士は出てこなかったな。
彼も処分しないと、また虐待で大変なことになりそう。
そもそも虐待の事実が明らかになったから、あの施設も終わりかな・・・。

さらに入居者のおばあちゃんが被害者の栃野に孫娘を奪われていたということで!
あのおばあちゃんまで過去の事件に絡んでくるとは思わなかった。




おばあちゃん自身も虐待を受けていたんだもんな・・・。
そりゃあ、殺したくもなるだろう。
稲見教官に対しても申し訳ない気持ちとか持っていそうだけどな。
そうでもなかったのかな?

稲見教官が望んでいたこととはいえ、よくみんな口裏を合わせて黙っていたものだ。

このドラマを見ていて気になっているのが、懲役=罰というのがどうなのかなと。
まあ、確かに刑罰ではあるわけですが、一応、懲役というのは更生が目的でしょうからね。
罰を与えるための懲役というのは少し違う気が。
更生よりも罰のニュアンスが強いから、再犯率が高くなったりする面もあるのかな?




例えば御子柴が罰を受けていたところで、世間の目が変わるかといえば変わらないでしょうしね。
むしろ御子柴の場合は少年法で守られたからこそ、更生ができた面もあるわけです。(あと稲見教官との出会いね)

まあ、懲役の是非はともかく、逮捕時の報道をしないだけでも、軽犯罪者の更生にはつながると思うな。
不起訴でも逮捕時に報道されると、それだけでずいぶんと生きにくくなりますしね。
それは更生の機会を奪うことになると感じちゃいますね。




更生できる人とできない人のパターンぐらいはデータ化もできそうだし。
更生できそうな人は報道を差し控えるぐらいの配慮があっても良さそうだけどな。
日本は失敗を許さないお国柄なので、過ちを犯した人は生きにくいでしょう。

なんにしてもこのドラマの贖罪というメッセージはなんだか難しいものがありますな。
次回からは最終章ということですが、御子柴の母が起こした事件ということで。




WOWOWのドラマでやっていた事件をやると思ったけど、どうもそれとは違うな。
御子柴のお母さんということは、犯罪者の身内にスポットが当たるわけですね。
そこらへんがどう描かれるのかも気になるところです。

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